大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所沼津支部 昭和51年(ワ)360号 判決

原告 長畑雪子

右訴訟代理人弁護士 福地絵子

同 福地明人

同 藤森克美

同 伊藤博史

被告 株式会社静岡相互銀行

右代表者代表取締役 川井盛雄

右訴訟代理人弁護士 内田善次郎

同 堀家嘉郎

同 平岩新吾

右堀家嘉郎訴訟復代理人弁護士 松崎勝

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二〇四七万二六七五円及び内金九三三万五四八五円に対する昭和五一年一〇月一五日から、内金七九九万一五二八円に対する昭和五六年六月一一日から、内金三一四万五六六二円に対する昭和五七年一〇月七日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (原告の経歴及び被告との雇用関係)

被告は、相互銀行業を営むことを目的とする資本金六億円の株式会社である。

原告は、昭和三七年四月一日、沼津商業高等学校卒業と同時に被告に入行し、人事部人事課付として静岡相互銀行健康保険組合(以下、「健康保険組合」という。)に約八年間出向し、昭和四五年四月一〇日、被告の沼津北支店に転勤となったが、昭和四七年一月一八日より休職となり現在に至っている者である。

2  (健康保険組合における原告の業務の内容、業務量、職場環境と頸腕症候群の発症)

(一) 原告は、被告に入行と同時に健康保険組合に出向し、同組合の事務に従事することになったが、当時、同組合は、設立されてまもなくであったため、その業務は、政府管掌健康保険当時の古い台帳の整理、新たな個人別台帳や支店別の被保険者名簿の作成、被保険者証の未作成分の発行、一〇〇名以上にのぼる新入行員分及び約五〇名の転勤者分の被保険者証の作成、組合会議員選挙の準備事務、第一回組合会(設立総会)をはじめ頻繁に開かれていた組合会や理事会のための資料作り、予算書の作成や議事録の整理等と極めて多く、しかも、原告は女子行員ということで、隣室の人事部、管理部、小会議室の清掃やいわゆるお茶くみ等の雑用までしなければならず、多忙を極めていた。

また、健康保険組合は、その当時、被告の沼津支店内に仮事務所を設けて業務を行っていたが、右沼津支店の建物は、古くて採光が悪く、昼間でも電燈をつけなければならないほど真っ暗であり、しかも、国道一号線に面していたため騒音も激しいなど、その職場環境は極めて劣悪であった。

(二) 原告は、被告に入行するまでは病気らしい病気もせず健康そのものであったが、こうした勤務状況の中で、同組合に出向後約二ヶ月を経過した昭和三七年六月には手のだるさを感じるようになり、病院や診療所から送付される診療報酬請求明細書(レセプト)をめくることにさえ疲れを感じ、右手が重苦しくて眠れない夜が続くようになった。

原告の右症状は、被告の嘱託医である沼津市所在の杉山病院の診断によれば、「頸腕症候群」とのことであったが、約三週間にわたって通院治療を続けた結果、右症状は軽快し、以後約八年間再発することなく経過した。

3  (沼津北支店における原告の業務の内容、業務量、職場環境と頸腕症候群の再発)

(一) 原告は、昭和四五年四月一〇日、健康保険組合から被告の沼津北支店に転勤になり、同支店の普通預金係に配置され、預金会計機を操作して通帳、元帳等に記帳を行う業務及び卓上計算機を用いて毎日の出入金についての利息を計算し、元帳へボールペンで記帳する業務等を担当するようになったが、入行以来約八年後に初めて担当する銀行業務であり、会計機の操作や伝票の取扱いに慣れていなかった原告にとっては、右の業務は、上肢から頸、肩にかけての筋肉を疲労させる作業であったばかりでなく、ミスをしない正確さと客を待たせないためのスピードが要求されたため、非常に神経を使う作業でもあった。

しかも、当時の会計機は、最近の機械と違ってキーが重く、卓上計算機も力の加減で数字がはっきりしなくなるなど性能が悪かったため、必要以上の神経と力を集中しなければならなかった。

(二) 原告は、昭和四四年一一月に結婚し、沼津北支店に転勤当時は妊娠四ヶ月であったが、同支店は同年七月に開店された新設店舗であったため、業務が忙しく、連日二〇分ないし二時間位の残業を余儀なくされ、また、原告には専用の机や椅子も与えられていなかったため、会計機用の机で機械操作や記帳業務を行うという不自然な姿勢での作業を余儀なくされていた。

(三) 沼津北支店は、昭和四五年七月に開店一周年を迎え、依然多忙な状態が続いていたが、原告は、休暇をとって休養することもできないまま出勤を続け、その後、同年一〇月に出産した第一子(男子)の産前産後の休養のため同年八月一三日から一一月三〇日まで休業したが、同年一二月一日から再び出勤し、連日平均二〇〇枚を数える伝票の処理、元帳、通帳への記帳業務を行うとともに、同月末には、暮れの忙しさのため育児時間もとらず、午後五時から六時頃まで仕事を続けた。

(四) また、原告は、産休後の勤務について、従前からの慣行に従い、午後四時から五時までの一時間を育児時間として請求していたが、清水幸夫沼津北支店長から「育児時間は午前、午後各三〇分ずつに分けてとりなさい。」とか「午後四時から五時にまとめてとるとしても五時の終礼には出て来なさい。」と言われるなどの嫌がらせを受けたため、精神的にも大きな負担を負いながら仕事をしなければならない状態であった。

(五) こうした勤務状況の中で、原告は、昭和四五年六月中旬頃から身体のだるさを感じるようになり、同年一二月末頃には背中から腰にかけて激しい痛みを覚え、会計機の前に座って仕事をするのにも耐えられない状態となった。

翌昭和四六年に入っても、腰、背、肩の痛みはとれず、日増しに強くなってきたので、同年一月一三日、前記杉山病院で診察を受けたところ、同病院の杉山泰洋医師の診断は、「頸腕症候群、椎間板ヘルニヤ」により約三週間の休業を要するとのことであった。

そのため、原告は、同年一月一四日から二月三日にかけての約三週間の休業ののち、再び勤務についたが、右症状は一時間も仕事をすれば腰と背中が痛くなるといった状態でほとんど軽快せず、その後約五ヶ月にわたり、右杉山病院及び同病院から紹介された富士宮市所在の伊波整形外科医院で治療を受けたが、やはり軽快せず、逆に腕が非常に痛くなり昼も夜も痛みがとれない状態となった。

そこで、原告は、昭和四六年四月二九日、神奈川県川崎市所在の大師病院で診察を受けたが、同病院の渡部五百友医師の診断によれば、原告の前記症状は「椎間板ヘルニヤ」ではなく「頸腕症候群」であり、非常に重症とのことであった。

原告は、その後、同病院で鍼と灸による治療を受け、一時症状は軽快したものの、昭和四七年三月に第二子(女子)を出産した後には再び症状が悪化し、休業を続けざるを得なくなった。

4  (原告の頸腕症候群の発症、再発と業務起因性)

原告の前記頸腕症候群(以下、「本件疾病」という。)は、次のとおり被告の業務に起因して生じたものである。

すなわち、頸腕症候群は、昭和三〇年以降、電子計算機をはじめ各種機械の導入が飛躍的に増加し、これに伴って作業能率が全面的に引き上げられた結果発生した職業病であり、「上肢を同一肢位に保持又は反覆使用する作業により神経、筋の疲労を生ずる結果起こる機能的あるいは器質的障害」であるとされているところ、原告が前記健康保険組合及び沼津北支店において従事していた業務の内容、業務量、職場環境は、前記2の(一)及び同3の(一)ないし(四)にそれぞれ記載のとおり頸、肩、腕を肉体的にも精神的にも疲労させるものであって頸腕症候群を発症させる要因となりうるものであり、原告を診察した渡部医師が前記診断において肯認しているとおり、被告の業務に起因して発症したことが明らかである。

5  (労働基準監督署長の業務災害認定と休業補償給付の支給)

(一) 原告は、昭和四七年七月二六日、沼津労働基準監督署長に対し、本件疾病による休業について労働者災害補償保険法(以下、「労災保険法」という。)に基づく休業補償給付の申請をしたところ、同監督署長は、原告側から医師の意見書、原告の意見書、原告の所属する全相銀連静岡相互銀行従業員組合(以下、「従業員組合」という。)の意見書等を提出させたほか、同年九月二日、七日、一一日、一二日の四回にわたり職場の現地調査を行い、各数時間ずつ原告の業務の内容、業務量、職場環境を調査するとともに、被告側からも意見書の提出を求め、その意見も検討したうえ、同年一〇月二一日、本件疾病を労災保険法上の業務上の疾病(以下、「労災」ともいう。)であるとの認定を下し、同年一月分に遡って同法に基づく休業補償給付を支給することを決定した。(以下、「本件労災認定」という。)

本件労災認定は、公正妥当な結論であり、右認定からも本件疾病が被告の業務に起因して生じたものであることは明らかである。

(二) 原告は、本件労災認定に基づき、沼津労働基準監督署長より昭和四六年一月分から昭和五六年四月分までの休業補償給付として別紙目録の「労災保険休業補償給付額」欄記載のとおりの金員合計金九六〇万〇九四六円の支給を受けた。

6  (被告の業務起因性の承認と法定外補償の合意)

(一) 被告は、昭和四八年四月二六日及び同年五月一六日の両日における従業員組合との団体交渉の席上、本件疾病が被告の業務に起因するものであることを認めるとともに、同年六月三〇日、原告から「昭和四八年六月三〇日午後二時三〇分人事部副部長より銀行が私の病気に対して沼津労働基準監督署長の認定した通り取り扱うとの通知を確かに受けました。」との文書を提出させ、原告に対し、本件疾病が業務上の疾病であることを承認した。

(二) のみならず、被告は、同年一〇月一七日、従業員組合との間で、原告の本来得べかりし賃金と労災保険から支給される休業補償給付との差額(平均賃金の四〇パーセント相当)を原告に補償する旨合意し、昭和四九年一月一五日までの右差額補償分として別紙目録の「被告既支給額」欄記載の金員合計金一〇六万九六七九円を原告に支給した。

(三) ところが、被告は、昭和四九年一〇月二一日、従業員組合に対し、右差額補償を同年一月二一日に遡って打切る旨通告し、原告に対する右補償を打切った。

7  (被告の債務不履行)

(一) 被告は、使用者として原告を自己の支配下に置いているのであるから、雇用契約上の債務として、原告の生命、身体、健康の安全を保証する義務(以下、「安全保証義務」という。)、すなわち、具体的にいえば、(1) 原告の生命、身体、健康に対する侵害を発生させないように予防する義務、(2) 原告の健康障害の有無を早期に発見し、その増悪を防止するため、自己の負担で適切な健康診断を行うとともに、健康障害を発見した場合は適切な治療を受けさせる義務、(3) 原告の生命、身体、健康の安全を保持する客観的な必要がある場合は、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等を行うなどして適切な労働に配置する義務、(4) 原告を職場に復帰させるについても健康の回復に必要であれば、それに適した業務に復帰させる義務がある。

(二) ところで、右安全保証義務は、使用者が労働者を自己の支配下において労働力の提供を受けていることから当然に要求される広範囲かつ高度の注意義務であるから、業務遂行中、労働者に何らかの負傷または疾病が発生した場合には、不可抗力等の特段の事情がない限り、その負傷または疾病は使用者の安全保証義務違反によるものと推定されるべきものである。

したがって、本件においても、本件疾病が業務上の疾病であることが明らかである以上、右疾病は使用者たる被告の安全保証義務違反によって生じたものと推定されるべきである。

(三) 仮に、業務上の疾病であることが明らかであっても、それだけで使用者の安全保証義務違反を推定することができないとしても、被告には次のような積極的な安全保証義務違反(債務不履行)があるから、これによって生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(1) 昭和三七年六月発症の頸腕症候群に対する無配慮

原告は、前記2の(一)、(二)記載のとおり、健康保険組合の業務に従事している間に、頸腕症候群に罹患したことがあり、こうした頸腕症候群の既往症のある従業員に対する使用者の安全保証義務は通常の場合より大きいにもかかわらず、被告は、昭和四五年四月、右既往症に対する配慮を全くせずに、原告を頸腕症候群の最も再発しやすい会計機操作等の作業に従事させた。

(2) 原告の妊娠に対する無配慮

原告は、昭和四五年四月沼津北支店に転勤を命じられた当時妊娠四ヶ月であったので、入行以来全く経験のない営業店舗での勤務に不安を感じ、配転をしないように希望するとともに、右の事情を健康保険組合の鶴橋精一事務長から清水沼津北支店長に説明してもらい、機械等の操作はさせないでほしいとの申入れを行ったにもかかわらず、同支店長は、右申入れを無視し、何の配慮もせずに原告を普通預金係に配置して会計機等の操作をさせた。

これは、妊娠中の女子に対する権利として軽易な業務への転換を保障した労働基準法六五条三項の趣旨に反する明白な安全保証義務違反行為である。

(3) 銀行業務についての教育訓練不足

原告は、入行後沼津北支店に転勤になるまでの約八年間銀行業務の経験が全くなかったのであるから、被告は、原告に銀行業務を担当させるにあたっては、その業務について十分な教育、訓練を行うべき義務があるにもかかわらず、原告に対し、何らの教育、訓練も行わず、普通預金係に配置した。

(4) 被告の従業員組合敵視の職場環境

被告は、かねてより原告の所属する従業員組合を敵視し、同組合を弱体化させるため、昭和四一年五月二一日静岡相互銀行労働組合(以下、「労組」という。)と称する第二組合を結成させたり、従業員組合の活動家二二名を懲戒解雇にするなどの不当労働行為を行っており、(右解雇処分は、昭和四五年四月の訴訟上の和解により撤回された。)、原告を全く経験のない営業店舗に配転するといった不合理な措置をとったのも、従業員組合の組合員である原告を退職に追い込むための策謀である。

また、原告が沼津北支店に転勤した当時、同支店には従業員組合の組合員は三人しかおらず、そのうちの二人は外交係でほとんど店内にいなかったため、原告は孤立化し、労組の組合員から「ゴキブリ」、「ウジ虫」などといわれたり、沼津北支店長から挨拶してもそっぽを向かれるなどのありさまであって、こうした被告の従業員組合敵視の態度は、同組合に所属する原告の神経を著しく疲労させるものであった。

(5) 頸腕症候群の再発時及び第一子出産後の被告の態度

原告は、沼津北支店に転勤して二ヶ月余り経過した昭和四五年六月頃には再び身体のだるさを感じるようになったが、同支店長の前記のような原告に対する態度をみると、身体の不調を訴えて休暇をとることができなかった。

また、第一子を出産後再び出勤するようになった同年一二月一日以降も、原告が一日一時間の育児時間を請求すると、同支店長は、育児時間は午前と午後各三〇分に分けてとり、しかも、朝礼、終礼には出てくるように命じるなどの嫌がらせをしたので、原告は、身体の具合が悪くても、これを訴えることができなかった。

こうした被告の態度は、労働者の健康の保持に対する配慮を全く欠くものである。

(6) リハビリテーション勤務の拒否

原告は、昭和四六年五月から、大師病院において頸腕症候群の治療を受けるようになり、症状は一進一退ながらも徐々に軽快し、昭和五〇年一〇月にはリハビリテーション勤務(以下、「リハビリ勤務」という。)が可能となった。

そのため、原告は、同年一〇月三〇日、被告に対しリハビリ勤務の申入れを行ったが、被告はこれを認めようとしない。

頸肩腕障害については、疾病の性質上いきなり平常勤務を行った場合は再発の危険が大きいので、リハビリ勤務が不可欠であり、こうしたリハビリ勤務を行えば一年ないし二、三年で完全に職場に復帰できることが多いにもかかわらず、被告はこれを拒否し、原告の真の健康回復、職場復帰を妨害した。

8  (被告の不法行為)

不法行為上要求される一般的注意義務の内容は、雇用契約上被告に要求される前記安全保証義務の内容と同一と考えられるところ、被告に右注意義務違反があること及び被告の右注意義務違反によって本件疾病が発症したことは前記2ないし7記載のとおりであるから、被告には、不法行為に基づいて原告の損害を賠償すべき責任がある。

9  (原告の損害)

(一) 得べかりし賃金、一時金

原告は、本件疾病により休業したため、別紙目録の「得べかりし賃金及び一時金の額」欄記載のとおり、昭和四六年一月分から昭和五七年九月分までの賃金及び一時金の合計金二六一四万三三〇〇円を受領できなくなり、右同額の損害を蒙った。

(二) 慰謝料

原告は、本件疾病により、既に一一年半以上にわたり背中から腰、肩にかけての痛みに苦しみ続けてきただけでなく、現在においてもなお腕や手に力が入らないため育児や家事が満足にできない状態であり、その間、多大な精神的苦痛を蒙っている。

また、頸腕症候群が再発しないように注意してほしいとの申入れも無視され、育児時間をとることにも嫌がらせをされたうえ、昭和五〇年一〇月からはリハビリ勤務が可能と診断されたため職場復帰を希望しているのに、それを拒否されている。

こうした原告の精神的苦痛に対する慰謝料は金五〇〇万円が相当である。

10  よって、原告は、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づく損害賠償として前記9の(一)、(二)の損害額合計金三一一四万三三〇〇円から同5の(二)の休業補償給付額と同6の(二)の銀行既支給額との合計金一〇六七万〇六二五円を控除した金二〇四七万二六七五円及び内金九三三万五四八五円に対する本訴状送達の日の翌日である昭和五一年一〇月一五日から、内金七九九万一五二八円に対する昭和五六年六月一〇日付訴の追加的変更申立書の送達された第二〇回口頭弁論期日の翌日である同年同月一一日から、内金三一四万五六六二円に対する昭和五七年一〇月六日付訴の追加的変更申立書の送達された第二三回口頭弁論期日の翌日である同年同月七日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2の(一)のうち、原告が被告に入行と同時に健康保険組合に出向して同組合の事務に従事していたこと、当時の被告の沼津支店の建物が古かったこと、昼間電燈をつけていたことは認めるが、健康保険組合における原告の業務が多忙であったとの点、原告が隣室の人事部、管理部などの清掃やいわゆるお茶くみをしていたとの点、同組合の職場環境が極めて劣悪であったとの点はいずれも否認し、その余は知らない。

同2の(二)のうち、原告が被告の入行時において健康であったことは認めるが、その余は知らない。

3  同3の(一)のうち、原告が昭和四五年四月一〇日に健康保険組合から沼津北支店に転勤になったこと、同支店の普通預金係として会計機を操作して通帳、元帳等に記帳を行ったり、卓上計算機を用いて毎日の出入金についての利息計算をしたりする業務を担当していたこと、入行以来同支店に転勤になるまでの約八年間原告が会計機等の機械を操作したことがなかったことはいずれも認めるが、その余は否認する。

同3の(二)のうち、原告が昭和四四年一一月に結婚したこと、沼津北支店が同年七月に新設された店舗であることは認めるが、原告が同支店に転勤当時妊娠四ヶ月であったことは知らない。その余は否認する。

同3の(三)のうち、沼津北支店が昭和四五年七月に開店一周年を迎えたこと、原告が同年一〇月に第一子(男子)を出産したこと、同年八月一三日から同年一一月三〇日まで産前産後の休養のため休業したことは認めるが、その余は否認する。

同3の(四)のうち、原告が育児時間を午後四時から五時までの一時間にまとめてとっていたことは認めるが、その余は否認する。

同3の(五)のうち、原告が昭和四六年一月一四日から二月三日にかけて約三週間休業したこと、大師病院の診断書に「頸腕症候群」との記載があること、昭和四七年三月に第二子(女子)を出産したことはいずれも認めるが、原告が昭和四五年六月中旬頃から身体のだるさを感ずるようになったことは知らない。その余は否認する。

4  同4のうち、本件疾病が被告の業務に起因して生じたとの点は否認する。

5  同5の(一)のうち、本件疾病について労災認定がなされたことは認めるが、その余は否認する。

同5の(二)のうち、原告が労働基準監督署長より休業補償給付を受領している点は認めるが、その受領金額は知らない。

6  同6の(一)のうち、被告が原告主張の文書を原告から提出させたことは認めるが、被告が業務起因性を承認したとの点は否認する。

同6の(二)のうち、被告が原告に金一〇六万九六七九円を支給したことは認めるが、被告が従業員組合との間で原告が本来得べかりし賃金と労災保険から支給される休業補償給付との差額を補償する旨合意したとの点及び原告に支給した金員が右差額補償金であるとの点は否認する。

同6の(三)のうち、原告に対する金員の支給を打切ったことは認める。

7  同7の(一)ないし(三)のうち、被告に債務不履行責任があるとの点は争う。

8  同8のうち、被告に不法行為責任があるとの点は争う。

9  同9の(一)、(二)は争う。

三  被告の主張

1  (健康保険組合における原告の業務の内容、業務量、業務従事期間、職場環境その他の勤務状況について)

(一) 原告は、健康保険組合における原告の業務が多忙を極めていたと主張する。

しかし、(1) 同組合は、原告が被告に入行した昭和三七年四月一日に設立されたものであるが、当時同組合の組合規約や予算書、在籍行員の被保険者証等はほとんど作成済みであったこと、(2) 同組合の事務は、鶴橋事務長、中村次長及び原告の三名で担当していたが、当時の被告の組合員数は一、〇〇〇名位であったから、人員の面においても厚生省の定める基準に合致しており、十分であったこと、(3) しかも、鶴橋事務長は厚生省の社会保険事務所に長年勤務していた健康保険事務のべテランであり、中村次長も健康保険事務には習熟していたので、原告が担当した仕事は簡単な事務と雑用に過ぎなかったこと、(4) 原告が手のだるさを感じるようになったと主張している昭和三七年六月までに原告が勤務したのは、わずか二ヶ月であり、その頃の残業時間は、同年四月が二時間一〇分、同年五月から八月までは皆無であって同年四月から一二月までを合計しても三一時間一〇分に過ぎないこと、(5) 健康保険組合に最初の診療報酬支払明細書が送付されてきたのは、設立後二ヶ月目である昭和三七年六月からであり、その頃の請求件数はわずかなものであったこと、(6) お茶くみなどの雑用は人事部二名、管理部二名の女子職員が適宜交替で行っていたこと、などから判断してその業務は決して多忙であったとは考えられず、原告の主張は針小棒大である。

また、当時の健康保険組合の事務所は、被告の沼津支店二階の人事部と同室にあり、国道一号線からは一番奥まった所で、交通量も現在と比較すると少なく、原告が主張するように、勤務や健康に影響があるほど職場環境として劣悪であったことはない。

同事務所が昼間電燈をつけていたのも、世間一般の事務所が通常行っているような事務能率の向上と眼の健康保護のためであって、同事務所の職場環境が特に劣悪だったからではない。

(二) 原告は、昭和三七年六月には手のだるさを感ずるようになり、診療報酬支払明細書をめくることにさえ疲れを感じ、眠れない夜が続いたと主張しているが、原告の当時の就労状況は、同年六月皆勤、同年七月夏季休暇一日だけでその余は出勤、同年八月皆勤と極めて良好であって、健康の不調を思わせるような徴候は全くなかったのであり、原告がその頃頸腕症候群に罹患していたかどうかは疑わしい。

2  (沼津北支店における原告の業務の内容、業務量、業務従事期間、職場環境その他の勤務状況について)

(一) 原告が沼津北支店において担当していた業務は、主に、利息計算機を用いて毎日の出入金についての利息を計算する作業であって、特に困難な業務ではなく、むしろ初心者でも簡単にできる作業であり、そのほかの会計機を操作して通帳、元帳等に記帳する作業も、その当時、普通預金係には勤続一三年のベテラン行員である井口政隆がおり、同人がその約七割を行っていたから、原告の作業量は特に過重というほどのものではなかった。

なお、会計機のタッチ数は一枚の伝票で一〇ないし一二タッチであるところ、沼津北支店の一日の伝票の平均枚数は一五〇枚程度、会計機のタッチ数にして一、五〇〇ないし一、八〇〇程度であったから、原告の一日平均タッチ数は五〇〇ないし六〇〇程度となり、他の店舗における作業量と比較しても過重な作業量ではなかった。また、原告の使用していた会計機や卓上計算機は、いずれも同支店開設直後の昭和四四年八月二五日に購入した性能のよい製品であって、原告の主張するような状態ではなかった。

(二) 沼津北支店は、開店前の準備期間中が忙しかったのであって、原告が同支店に転勤となった当時は開店後一〇ヶ月を経ており、原告の主張するように特に忙しいということはなかった。

このことは、(1) 同支店の当時の口座数が全部でわずか三、〇〇〇ないし三、五〇〇口座であり、被告の全店平均からみれば支店行員一人当りにつき一、〇〇〇口座位少ない程度であったこと、(2) 原告が昭和四五年四月一〇日から長期休業に入る翌昭和四六年一年一八日(正確には同年二月九日からであるが、原告は、その後二月四日、五日、八日の三日間だけしか出勤していないから、実質的には一月一八日から長期休業に入ったというべきである。)までに実際に勤務した日数は、昭和四五年四月が一六日間、同年五月が二二日間、同年六月が一一日間、同年七月一六日から八月一二日までが二一日間、同年一二月一日から翌四六年一月一六日までが三二日間と約九ヶ月の間にわずか一〇二日であること、(3) その間の残業時間も、昭和四五年四月及び五月は各二日間で各五時間、同年六月は二日間で四時間、同年七月から一一月までは皆無、同年一二月は二日間で二時間三〇分であり、九ヶ月間を合計しても一六時間三〇分というわずかなものであったことからも明らかである。また、沼津北支店において、開店一周年を控えて忙しかったのは外交係であって、原告のような内勤者はそれほど忙しくなかったのみならず、原告は、一周年記念日当日及びその前後である昭和四五年六月一五日から七月一五日にかけては急性腎盂炎のため約二〇日間休業したほか、その後の同年八月一三日から一一月三〇日にかけても第一子の産前産後の休業をしているのであって、多忙のため休暇をとることもできなかったという原告の主張は事実に反する。

さらに、原告は、産休後再び出勤するようになった同年一二月一日以降も、毎日午後四時になれば育児時間と称して退行していたのであって、同年一二月末には育児時間をとらず仕事をしていたとの事実はない。

なお、被告には、産休後の勤務について、午後四時から五時までの一時間を育児時間とするとの慣行が存在していた事実はなく、原告が他店においては午後四時から育児時間をとっていたと称し、勝手に午後四時に退行していたに過ぎず、被告は、これに対し、事実上黙認していたのであり、嫌がらせをしたような事実はない。

(三) 原告は、昭和四五年六月中旬頃から身体のだるさを感ずるようになり、同年一二月末頃には背中から腰にかけて激しい痛みを覚えるようになったと主張する。

しかし、原告が沼津北支店に転勤後同年六月中旬までに実際に勤務した日数が四九日間だけであること、その後、同年一二月末までに実際に勤務した日数も同年七月一六日から八月一二日までの二一日間と産休後再び出勤した同年一二月一日から同月三一日までの二五日間の合計四六日間だけであること、しかも、同年一二月一日からは、午後四時になると育児時間をとると称して退行していたこと、その間、同年六月一五日から七月一五日までの間の約二〇日間は急性腎盂炎により休業、同年八月一三日から一一月三〇日までは同年一〇月に出産した第一子(男子)の産前産後の休業をしていたことは、いずれも前記2の(二)記載のとおりであり、これらの事実に、(1) 原告は、昭和四五年一一月一三日に社会保険三島病院で診察を受けているが、そのときの診断は「骨盤神経痛」であったこと、(2) その後昭和四六年一月一三日から二月九日までの間に五回の診察を受けた杉山病院及び同年二月一六日から四二回にわたり診察を受けた伊波整形外科医院の診断がいずれも「椎間板ヘルニヤ」であり、同病院において行われた治療はマッサージ、骨盤牽引などの椎間板ヘルニヤに対する治療に限定されていたこと、(3) 長期休業に入る直前である昭和四六年一月一六日には、原告自身、沼津北支店長に対し同月一三日付の杉山病院の診断書を提出し、「産後の状況が思わしくなく通院していたが、椎間板ヘルニヤと診断されたので治療したい。」と述べるなど椎間板ヘルニヤであることを認めていたこと、(4) その後、昭和四七年三月には第二子(女子)、昭和四八年一〇月には第三子(女子)をそれぞれ出産していること、などの事実を総合すると、原告の前記症状は、頸腕症候群によるものではなく、椎間板ヘルニヤあるいはこれと同系統の病気によるものと考えるのが相当である。

もっとも、杉山病院の昭和四六年一月一三日付の診断書には「椎間板ヘルニヤ」のほかに「頸腕症候群」という病名も記載されてはいるが、この点について、右診断を行った杉山病院の杉山泰洋医師は、頸腕症候群は明確な他覚的症状を確知しがたい病気であるところ、原告が腰痛、肩こりを訴えたため一応「頸腕症候群」との病名を付加したに過ぎず、治療は椎間板ヘルニヤに対する治療だけを行ったことを明言しており、右記載をもって原告が頸腕症候群に罹患していたものとすることはできない。

また、大師病院の診断書には「頸腕症候群」との記載があるが、同病院の渡部五百友医師及び長谷川倫雄医師はいずれも内科の専門医であって整形外科の専門領域である頸腕症候群の診断を行うのは必ずしも適切ではないこと、渡部医師の診断にしても、昭和四六年六月二一日付の診断書に見られるように、被告の業務について何らの調査もしないまま原告の頸腕症候群が被告の業務に起因すると結論づけるなど極めて杜撰であることなどから判断して、その診断結果には多大の疑問があり、同病院の診断があるからといって、原告が頸腕症候群に罹患していたということはできないというべきである。

3  (被告の業務と原告の疾病との相当因果関係の有無について)

仮に、本件疾病が頸腕症候群であると仮定しても、右疾病は、次のとおり被告の業務に起因し、あるいは被告の業務が決定的要因となって発症(再発)したものではないから、本件疾病と被告の業務との間には相当因果関係(業務起因性)がないというべきである。

(一) 頸腕症候群とは、上腕神経叢、自律神経、血管などの刺激による頸、肩、腕の神経痛様疼痛を主体とし、手指などにしびれ感、知覚鈍麻、運動障害などの不全麻痺や自律神経亢進などを起こす病状の総称であり、その病理的発生機序が医学上不明であるが故に「症候群」といわれているものであって、短絡的に職業に起因するものと考えてはならず、職業とは全く無関係に主婦や学生にも起こりうるものである。

したがって、頸腕症候群が業務に起因するかどうかは、患者の体質、素因、生活歴、基礎体力等を十分考慮に入れたうえ、その作業態様、業務(作業)従事期間、業務量、職場環境等を調査して結論を出さねばならないのであって、その判断にはかなりの困難を伴うものである。

(二) そのため、労働省労働基準局長は、昭和五〇年二月五日、「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第五九号)を出し、労働基準監督署長の行う「頸腕症候群」の認定については、右通達によって業務上の認定を行うように指導しており、右通達は、本件疾病が被告の業務に起因するものであるかどうかを判断するにあたっても重要な基準となるものである。

ところで、右通達は、「業務上外の認定にあたっては、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び作業量からみて、本症の発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであることが必要である。」と定めるとともに、業務起因性を認定する基準として、「(1) 作業従事期間については、一般的には六ヵ月程度以上であること、(2) 業務量については、イ、他の同種の労働者と比較して、おおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三ヵ月程度にわたる場合か、ロ、(イ)一日の業務量が通常の業務量のおおむね二〇パーセトン以上増加し、その状態が一ヵ月のうち一〇日程度あるか、(ロ)一日の労働時間の三分の一程度にわたって業務量が通常の業務量のおおむね二〇パーセント以上増加し、その状態が一ヵ月のうち一〇日程度認められるかのいずれかであって、しかも、(イ)または(ロ)の状態が発症直前三ヵ月程度にわたる場合であること」を要すると定めているところ、原告が健康保険組合において手のだるさを感ずるようになるまでの作業従事期間はわずか二ヶ月程度であるばかりでなく、沼津北支店における継続的作業従事期間も、前記2の(二)に記載したとおり最長期間が昭和四五年四月一〇日から同年六月中旬までの四九日間であって、いずれも右基準にいう六ヶ月程度という要件を満たさないばかりでなく、その作業量も、前記1の(一)及び2の(一)、(二)に詳述したとおり通常の行員より少ない程度であって、右基準からみても決して過重な状態にあったものとはいえないことが明らかであるから、本件疾病は、被告の業務に起因して生じたものということはできないというべきである。

(三) また、右通達によれば、仮に頸腕症候群に罹患していても、それが業務に起因するものであれば、適切な療養を行うことによってその症状はおおむね三ヶ月程度で消退するものと考えられているところ、原告は長期休業後既に一〇年以上も被告の業務を離れて治療に専念しているにもかかわらず、いまだにその症状が完治していないのであって、このことは、本件疾病が、前記2の(三)記載のとおり、そもそも頸腕症候群ではなく椎間板ヘルニヤであることを疑わしめるものであり、仮に、頸腕症候群であるとしても、その発症の主たる原因は原告自身の基礎的疾病、対人関係の変化に対する心理的社会的不適応性その他の何らかの素因に起因し、被告の業務自体は、直接の関連がないか、何らかの関連があるとしても疾病発生の単なる条件すなわち引金の役割を果たしたに過ぎないと考えられるから、このような場合、被告の業務と本件疾病との間には相当因果関係はないというべきである。

4  (労働基準監督署長の労災認定の問題点について)

沼津労働基準監督署長のした本件労災認定は、次に述べるとおり不当である。

(一) 頸腕症候群が業務上の疾病であるかどうかは前記通達にしたがって認定されるべきであるところ、原告の業務(作業)従事期間、業務量は前記3の(二)記載のとおりであって、いずれも右通達の基準には達していない。

(二) また、沼津労働基準監督署長は、労災認定を行うにあたっては、当該疾病が業務上のものであるかどうかについて自ら相当と認める医師に診断させるなどして適正な判断を行うべきであるにもかかわらず、本件においては、前記渡部医師の診断書等をそのまま鵜呑みにし、被告の主張も十分聞かないまま軽々に業務上の疾病であるとの認定を行っており、その結論は公正妥当なものとはいえない。

5  (業務起因性の承認及び差額補償の合意の有無について)

(一) 原告は、被告が本件疾病についての業務起因性を承認したと主張するが、被告は、原告の昭和四六年一月以降の長期欠勤についても当初はあくまで私病欠勤として取扱い、原告が昭和四七年七月になって労災保険申請を行い、被告に使用者として業務上の疾病であることの証明をするよう求めてきた際もこれを拒否するとともに沼津労働基準監督署長の調査においても業務上の疾病ではないとの意見上申を行うなど一貫してこれを否定してきたのであって、被告が業務起因性を肯定したことは今日に至るまで一度もない。

ただ、被告としては、本件労災認定がなされたので、右認定に不服ではあってもこれを争う法律上の手段がなく、いつまでも右認定に反した取扱いをすることは経営上の見地からも好ましくないとの判断から、已むを得ず、原告の身分上の取扱いについては私病欠勤扱いをやめて業務上の疾病として取扱うこととしたのであり、原告からその主張のような文書を提出させたのもその処理の必要上からであって、業務起因性を承認したからではない。

(二) 被告は、昭和四八年一〇月一七日、従業員組合との団体交渉の席上、原告が本来得べかりし賃金と労災保険に基づく休業補償給付(平均賃金の六〇パーセント)との差額に相当する金員を支払う旨を回答したが、右回答は、差額を補償する趣旨の合意ではなく、被告には業務上の疾病の場合私病と異なって法定外補償の定めがなかったため、それとの均衡上、法律上の義務はないが、原告の経済的負担の軽減をはかり、一日も早い健康回復、職場復帰を期待する意味で被告が相当と認める間右差額を恩恵的に見舞金として支給することとしたに過ぎない。

(三) ところが、本件疾病が長期欠勤後三年を経過するも治癒せず、本来労働基準監督署長によって長期傷病給付への切り替えが行われるべきであるにもかかわらずこうした措置も行なわれないため、被告としても見舞金をいつまでも支給するわけにもいかないので、昭和四九年一月一九日をもって右見舞金の支給を打切ることとし、同年九月二一日原告に対しその旨通知したのである。

6  (被告の安全配慮義務違反の有無について)

(一) 原告の主張する安全保証義務とは、雇用契約に伴う付随的義務として使用者に信義則上要求されるいわゆる安全配慮義務のことと考えられるが、右義務は、労働者の地位、職種及びその義務が問題となる具体的状況によって異なる個別的具体的な義務であって、使用者に対し無過失責任を負わせるのと同様な結果となる抽象的一般的な義務ではない。

したがって、労働者の疾病が業務に起因したとの一事をもって使用者に安全配慮義務違反があったと即断することは許されないばかりでなく、被告に安全配慮義務違反があったかどうかは、あくまで原告の従事していた業務の内容等を中心として、被告にどのような個別的具体的安全配慮義務が要請されていたかによって判断されるべきである。

(二) また、被告は、次のとおり原告の身体、健康等には十分な配慮を行っていたから、原告に対する債務不履行あるいは不法行為に基づく損害賠償義務はない。

(1) (健康診断その他の健康管理について)

被告は、原告を採用するにあたって健康診断を行い、同人が健康であることを確認するとともに、入行後も年二回の定期健康診断を行うなどして原告を含む従業員の健康管理には十分に配慮してきた。

(2) (健康保険組合における勤務状況等について)

被告が健康保険組合において原告に担当させた業務の内容は、前記1の(一)記載のとおり一部職員の被保険者証の作成その他の女子事務員としての限られた一般事務であり、その量も決して過重なものではなく、同組合の職場環境も特に原告の健康状態に影響を与えるような状態ではなかった。

(3) (沼津北支店へ配置換えになったときの状況について)

原告が沼津北支店に転勤するに際し、鶴橋事務長が原告を同支店まで同行した事実はあるが、これは、原告がその当時まで全く銀行業務の経験がなく、しかも妊娠中でもあったため、その点の配慮を要請するためのものであり、原告が主張するような申入れをするためではなかった。

(4) (沼津北支店における勤務状況等について)

被告が沼津北支店において原告に担当させた業務は、前記2の(一)記載のとおり主に普通預金係における利息計算業務であって、特別困難なものではなく、原告を同係に配置した後も、預金担当代理の上山雅之行員に利息計算の方法、会計機の操作方法を教示させるとともに、ほぼ一日一時間宛約一週間にわたって研修を行い、その後井口行員が実際の伝票を打たせるなどして徐々に仕事に慣れさせていったのであり、原告を新たな銀行業務につかせるについては十分な配慮を行った。

7  (原告の頸腕症候群に対する予見可能性の有無について)

仮に、本件疾病の発症(再発)について被告に何らかの点で安全配慮義務の不履行あるいは違反があったとしても、被告には次のとおり原告が頸腕症候群に罹患することについての予見可能性がなかったから、債務不履行あるいは不法行為責任は負わないというべきである。

(一) 原告が健康保険組合及び沼津北支店において従事していた業務の内容、業務従事期間、業務量等は、前記1の(一)及び2の(一)、(二)記載のとおりいずれも女子行員が通常行っている範囲内のものであって、当時の職場環境、原告の勤務状況などから判断しても、原告が頸腕症候群に罹患するとの予見は不可能であった。

(二) 原告は、また、昭和四五年一二月末頃に背中から腰にかけて激しい痛みを覚えたと主張し、右症状は昭和三七年六月中旬頃に罹患した頸腕症候群の再発であるかのように主張するが、(1) 原告の右症状は突発的なもので、その前兆と思われる症状が全くなかったこと、(2) しかも、原告自身もそうした痛みを沼津北支店長をはじめとする上司に全く告げておらず、その後長期欠勤に入る直前の昭和四六年一月一六日に至っても、産後の状況が思わしくなく椎間板ヘルニヤの治療をしたいと申し出ただけで頸腕症候群の症状などは全く訴えていなかったこと、(3) その当時頸腕症候群についての医学上の知見も少なく、被告に頸腕症候群についての特別検診を行うべき義務もなかったと考えられること、などを総合すると、被告には、原告が仮に頸腕症候群に罹患していたとしてもこれに気付くことは不可能であったし、ましてや、昭和三七年六月頃に罹患しその後約八年もの間何らの兆候もなかった頸腕症候群が再発するとの予見をすることは全く不可能であった。

なお、原告が昭和四六年一月一六日に提出した同月一三日付の杉山病院の診断書には「頸腕症候群」との病名の記載があるが、前記2の(三)に記載したとおり、右病名は杉山医師が原告の訴えに基づいて付加したものに過ぎず、その後の杉山病院及び伊波整形外科医院の診断書はいずれも「椎間板ヘルニヤ」とだけ記載されており「頸腕症候群」との病名は記載されていないのであるから、被告が右診断書の記載から原告の症状を頸腕症候群であると予見することは不可能であった。

また、仮に、右診断書に頸腕症候群との病名の記載があることをもって被告が原告の頸腕症候群を予見すべきであったとしても、原告は、その後三日間しか勤務していないのであるから、被告が原告の頸腕症候群の発症を予見しながら業務に就かせていたということにはならないというべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

1  被告の主張1の(一)のうち、健康保険組合が昭和三七年四月一日に設立されたこと、同組合の事務は鶴橋事務長、中村次長及び原告の三名が担当していたこと、同組合の事務所が沼津支店二階の人事部と同室にあり、国道一号線から一番奥まった所にあったことはいずれも認める。原告の同組合における昭和三七年四月から同年一二月末までの残業時間数が三一時間一〇分であることは知らない。

同1の(二)のうち、原告に健康の不調を思わせるような徴候が全くなかったとの点は否認する。

原告は、その当時、鶴橋事務長と杉山病院に同行し、同病院で頸腕症候群との診断を受け、同事務長にその旨を報告して約三週間にわたって就業時間内の通院を認めてもらったのであるから、少くとも、同事務長は、原告が頸腕症候群に罹患していたことを知っていたものである。

2  同2の(一)のうち、普通預金係にベテランの井口行員がいたこと、一日の伝票平均枚数がおおむね被告主張のとおりであることは認めるが、伝票は実際には月末、月初に集中するため井口行員だけでは到底処理できず、原告もかなりの枚数を処理していたものである。

同2の(二)のうち、原告の昭和四五年四月一〇日から翌昭和四六年一月一八日までの勤務日数が被告主張のとおりであること、その間の残業時間数が正式には一六時間三〇分とされていること、原告が昭和四五年六月一五日から七月一五日にかけて急性腎盂炎のため約二〇日間休業したこと、同年八月一三日から一一月三〇日まで第一子の産前産後の休業をしたこと、同年一二月一日以降午後四時から育児時間をとっていたことはいずれも認めるが、原告が育児時間をとることを被告が黙認していたとの点は否認する。

被告の主張する残業時間は、預金担当代理の上山行員が記録した残業時間だけであり、被告においては、二〇分程度の残業や計算違いなどで残業した場合の残業は記録されないのが常態であったから、実際の残業時間は、右の時間数をかなり上回るものである。

同2の(三)のうち、原告が昭和四六年一月一六日沼津北支店長に対し同月一三日付の杉山病院の診断書を提出し、同年一月一八日から実質上長期休業をしていること、杉山病院及び伊波整形外科医院の診断書に「椎間板ヘルニヤ」との記載のあること、原告が昭和四七年三月に第二子(女子)、昭和四八年一〇月に第三子(女子)をそれぞれ出産したことは認める。

3  同3のうち、被告主張のような通達が労働省労働基準局長から出されていることは認める。

しかしながら、原告の業務について、右通達の認定基準を適用するのは次のとおり不合理である。

(一) (作業従事期間について)

右通達によると、頸腕症候群発症までの作業従事期間として六ヶ月程度以上の期間が必要とされているが、右のような期間を要することの科学的根拠は全く説明されておらず、右基準自体が不明確である。

頸腕症候群は、疲労によって生ずる病気であるから、発症までに要する期間は適切な職業訓練を受けたかどうかによって異なるはずであり、原告のように職業訓練を受けない状態で業務に就かされた場合には六ヶ月に至らない期間に発症することは十分ありうるというべきである。

(二) (業務量について)

右通達による業務量の基準も非科学的である。

何故なら、疲労については、大きな個人差があるのであるから、業務量が過大であったかどうかは、本来、発病した個人の能力と比較して決定されるべきであって、そうした個人差を考慮せずに同一条件の労働者と比較して過重であったかどうかを判断するのは不合理である。

原告は、被告に入行後全く銀行業務に就いていなかったのであるから、原告の業務量が過大であったかどうかの認定を行うにあたっては、そうした特殊性が考慮に入れられるべきである。

(三) (治療期間について)

右通達は、頸腕症候群に罹患しても、三ヶ月程度の治療を行えばその症状は消失するとしているが、こじれた頸腕症候群については治療に何年もかかるのが一般的であり、現在では労働省労働基準局長自体が右の基準を事実上撤回している。

原告の場合、治療期間が長くなったのは、当初、椎間板ヘルニヤとの診断がなされ、頸腕症候群にとってはかえって不適切な治療が行われたことが原因である。

4  同4のうち、沼津労働基準監督署長が業務災害の認定を行うにあたって渡部医師の診断書等をそのまま鵜呑みにしたとの点は否認する。

5  同5の(一)のうち、被告が業務起因性を肯定したことはないとの点は否認する。

同5の(二)のうち、被告の支給した金員が恩恵的な見舞金であるとの点は否認する。

被告が原告に対する補償金を「見舞金」と称するようになったのは、被告が原告に対する差額補償を認めた昭和四八年から三年以上も経過した昭和五一年九月一一日からである。

6  同6の(二)の(1)のうち、被告が入行前及び入行後年二回の定期健康診断を行ったことは認める。

しかしながら、右定期健康診断においては、体重と胸部のレントゲン間接撮影がなされているだけであって、頸腕症候群に関心をもった診察は一切行われておらず、その発見、予防は不可能である。

同6の(二)の(4)のうち、沼津北支店配転後預金担当代理の上山行員が、伝票発生の都度会計機の操作を指導したことは認めるが、一日一時間宛約一週間にわたって研修を行うなどして徐々に仕事に慣れさせていったとの点は否認する。

7  同7のうち、被告が原告の頸腕症候群の発症を予見できなかったとの点は否認する。

原告が沼津北支店に配転になるにあたって、鶴橋事務長から清水同支店長に対し原告に頸腕症候群の既往症があることの説明がなされたことは請求原因7の(三)の(2)に記載したとおりであり、被告が原告の健康保持に積極的に関心を持っていれば、原告の頸腕症候群が再発することは予見できたはずである。

にもかかわらず、清水支店長が、昭和四六年一月一三日付の診断書が提出されるまで原告に頸腕症候群の兆候があることさえ気づかなかったのであれば、それは、同支店長の原告に対する敵視の態度が原因である。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1(原告の経歴及び被告との雇用関係)の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、原告の昭和四六年一月一八日からの休業の原因が頸腕症候群に罹患したことによるものであるかどうか及び頸腕症候群によるとしてそれが被告の業務に起因するものであるかどうかについて検討する。

1  (健康保険組合における頸腕症候群の発症について)

(一)  原告が被告に入行と同時に健康保険組合に出向し、同組合の事務に従事していたことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、原告は、同組合に出向して約二ヶ月を経過した昭和三七年六月頃から手のだるさを感じるようになったこと、そのため、被告の嘱託医である杉山病院で約一週間にわたって通院治療を受けたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(二)  ところで、原告の右症状が頸腕症候群によるものであるかどうかは、本件全証拠によるも必ずしも明らかではないが、《証拠省略》によれば、原告の右症状は約一週間程度の通院治療で軽快し、その後昭和四五年六月中旬頃までの約八年間は何らの兆候もあらわれなかったことが認められるから、右症状は頸腕症候群であったとしても比較的軽度のものであったと推認され、原告の昭和四六年一月一八日からの休業とは因果関係がないと考えられる。

したがって、原告の主張中、健康保険組合における業務について被告に債務不履行あるいは不法行為責任があるとする部分は、その余について判断するまでもなく理由がないことが明らかである。

2  (沼津北支店における原告の勤務状況と頸腕症候群の発症及び業務起因性の有無について)

(一)  原告は、沼津北支店における業務に従事していた昭和四五年六月頃から同年一二月末頃にかけて頸腕症候群に罹患したと主張するので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、原告は、昭和四五年六月中旬頃から身体のだるさを感ずるようになり、同年一二月末頃には背中から腰にかけて激しい痛みを覚えるようになったこと、昭和四六年一月一三日、被告の嘱託医である杉山病院で診断を受けたところ、同病院の杉山泰洋医師は、原告に肩甲部から右上肢にかけての圧痛があると認め、頸腕症候群との診断(腰痛については椎間板ヘルニヤとの診断)を下したこと、その後の同年四月二九日から昭和四七年七月二九日にかけて診察を受けた大師病院、静岡田町診療所においても頸腕症候群との診断がなされたことがそれぞれ認められ、これらの事実によると、少くとも、原告は、杉山病院で最初の診断を受けた昭和四六年一月一三日当時には頸腕症候群に罹患していたものと認められる。

(二)  そこで、次に、原告の右頸腕症候群(以下「本件疾病」という。)が被告の業務に起因して発症したものであるかどうかについて判断する。

《証拠省略》によると、頸腕症候群については、その病理的発生機序が医学上必ずしも明確でないことからその業務起因性の判断にはかなりの困難を伴うこと、そのため、労働省労働基準局長は、昭和五〇年二月五日、「キーパンチャー等上肢作業にもとづく疾病の業務上外の認定基準について」と題する通達(基発第五九号)を出し、労働基準監督署長の行う「頸腕症候群」の業務上外の認定については、右通達の定める基準によって行うよう指導していることが認められ、この認定に反する証拠はない。

ところで、右通達は、本来は、労働基準監督署長が業務上外の認定を行う際の基準となるものであるが、本件疾病についてその業務起因性を判断する場合においても重要な認定基準となりうるというべきであるから、以下、右通達の定める基準にしたがって本件疾病の業務起因性を検討することとする。

(1) 作業態様について

《証拠省略》によれば、前記通達は、頸腕症候群が業務に起因して発症したとの認定を行う基準として、当該労働者の作業態様、作業従事期間及び業務量からみて、その発症が医学常識上業務に起因するものとして納得しうるものであることが必要であると定めるとともに、その要件の一つである作業態様については、その内容がカードせん孔機、会計機の操作、電話交換の業務、速記の業務のような主として手、指のくり返し作業等の上肢の動的筋労作またはベルトコンベヤーを使用して行う調整、検査作業のように、ほぼ持続的に主として上肢を前方あるいは側方挙上位に空間に保持するとかの上肢の静的筋労作であることを要するとしていることが認められる。

そこで、原告が沼津北支店において従事していた作業態様についてみるに、原告が同支店の普通預金係として、会計機を操作して通帳、元帳等への記帳を行い、また卓上計算機を用いて毎日の出入金についての利息計算を行う業務に従事していたことは当事者間に争いがなく、右業務が前記通達のいう上肢の動的筋労作(会計機の操作等)に該当することは明らかであるから、その作業態様は、頸腕症候群を発症させる要因となりうるものであったことが認められる。

(2) 作業従事期間及び業務量について

そこで、原告が前記作業に従事していた期間について検討するに、前記通達によれば、頸腕症候群が業務上発症したとの認定を行うに必要な発症までの作業従事期間は、「その作業内容によって異なり、必ずしも一様ではないが、一週間とか一〇日間という短期間ではなく、一般的には六ヵ月程度以上のものであること」を要すると定められていることが認められる。

ところで、沼津北支店における原告の昭和四五年四月一〇日から昭和四六年一月一八日までの勤務日数が、昭和四五年四月は一六日間、同年五月は二二日間、同年六月は一一日間、同年七月一六日から八月一二日までは二一日間、同年一二月一日から翌昭和四六年一月一八日までは三二日間であること及び原告が昭和四五年六月一五日から七月一五日にかけて急性腎盂炎のため約二〇日間休業したこと、同年八月一三日から一一月三〇日まで第一子の産前産後の休養のため休業したことはいずれも当事者間に争いがなく、右事実によれば、原告の昭和四五年四月一〇日から翌昭和四六年一月一八日までの勤務日数は、約九ヶ月のうちのわずか一〇二日であり、しかも、その約九ヶ月のうちの昭和四五年六月一五日から七月一五日にかけて急性腎盂炎により約二〇日間休業し、同年八月一三日から一一月三〇日にかけて第一子の出産のため産前産後の休業をしていたので、継続的に業務(前記作業)に従事した期間は、同年四月から六月中旬にかけての四九日間が最も長かったことが認められるから、原告の作業従事期間は、右通達の定める基準には達していなかったとみるのが相当である。

もっとも、作業従事期間が六ヶ月に満たない場合であっても、その業務量が通常の業務量よりも著しく過大であれば、業務起因性が肯定されることもありうると考えられるので、さらに、右作業従事期間中の原告の業務量について検討する。

前記通達によれば、業務起因性を認定するためには、業務量が過重であること、すなわち「イ同一企業の中における同性の労働者であって、作業態様、年齢及び熟練度が同程度のもの若しくは他の企業の同種の労働者と比較して、おおむね一〇パーセント以上業務量が増加し、その状態が発症直前三ヵ月程度にわたる場合」か、業務量に大きな波があること、すなわち「ロ業務量が一定せず、例えば次の(イ)または(ロ)に該当するような状態が発症直前三ヵ月程度継続している場合、(イ)業務量が一ヵ月の平均では通常の範囲であっても、一日の業務量が通常の業務量のおおむね二〇パーセント以上増加し、その状態が一ヵ月のうち一〇日程度認められるもの、(ロ)業務量が一日の平均では通常の範囲であっても、一日の労働時間の三分の一程度にわたって業務量が通常の業務量のおおむね二〇パーセント以上増加し、その状態が一ヵ月のうち一〇日程度認められるもの」であることが必要とされていることが認められる。

ところで、沼津北支店が昭和四四年七月に新設された店舗であり、照和四五年七月に開店一周年を迎えたことは当事者間に争いがないが、《証拠省略》によれば、(1)同支店の口座数は、同年七月当時、全部で三、〇〇〇ないし三、五〇〇口座であり、被告の全店平均からいえば支店行員一人当りにつき一、〇〇〇口座位少ない程度であったこと、(2)原告が担当していた業務は、前記(二)の(1)(作業態様について)記載のとおりであるが、右の業務のうち、卓上計算機を用いて利息計算を行う作業は、その態様からみると上肢にそれほど大きな肉体的、神経的疲労を与えるものとは考えられないこと、会計機の操作は、卓上計算機と比較すると上肢に肉体的、神経的な負担を与えるものではあるが、当時、同支店の普通預金係にはベテランの井口行員がおり(この事実は当事者間に争いがない。)、同係の会計機の操作量の少くとも過半数以上は同人が行っていたため、原告の会計機の操作量は特に過重というほどではなかったこと(同係が一日に取扱う伝票の平均枚数は一五〇枚程度であり、一枚の伝票処理に要する会計機の操作量はタッチ数にして一〇ないし一二タッチであるから、同係全体の会計機の操作量は、タッチ数にして一日平均一、五〇〇ないし一、八〇〇タッチであった。)、(3)原告の昭和四五年四月から一二月末までの残業時間数も、同年四月の五時間、同年五月の五時間、同年六月の四時間、同年一二月の二時間三〇分の合計一六時間三〇分(同年七月から一一月までは皆無)であって、他の女子行員である勝呂仁子の合計六一時間四五分(同年四月二一時間五五分、同年五月二二時間五五分、同年六月一二時間五五分、同年一二月四時間、そのほかに同年七月から一一月までの九〇時間一〇分)、あるいは中野由美子の合計六四時間二五分(同年四月一九時間三〇分、同年五月二四時間、同年六月一七時間、同年一二月三時間五五分、そのほかに同年七月から一一月までの八六時間一五分)と比較しても著しく少なかったこと、(4)原告は、同年一二月一日以降はほとんど午後四時に育児時間をとって退行していたことがそれぞれ認められ、これらの事実を総合すると、原告の担当していた業務量は、前記通達の定める業務量の基準に達していないことはもちろん、むしろ、女子行員としての通常の業務量の範囲内に過ぎなかったと認めるのが相当であって、決して過大なものではなかったと考えられる。

原告は、(1)沼津北支店において使用していた会計機及び卓上計算機の性能が悪かったため疲労が大きかったこと、(2)同支店においては連日二〇分ないし二時間位の残業をしていたが、被告の記録には残されていないこと、などを主張するが、《証拠省略》によれば、原告の使用していた会計機及び卓上計算機は同支店の開店時に新規購入したものであって原告の主張するような状態ではなかったことが認められるほか、原告の残業時間については前記認定のとおりであり、他に原告の主張するような残業の事実を認めるに足りる証拠もないから、原告の右主張はいずれも採用できない。

原告は、また、沼津北支店長から育児時間をとるについても嫌がらせを受けたため精神的な負担を負っていたと主張するが、本件全証拠によるも、右事実を認めるには足りない。

(3) 以上によれば、原告の前記業務は、その作業態様については前記通達の定める基準に該当するが、作業従事期間及び業務量の点において明らかに右通達の基準には達しておらず、本件疾病が右業務に起因して発症したことを肯定するのは困難であるというべきである。

なお、原告は、被告に入行後全く銀行業務に従事していなかったから、原告の業務量を判断するにあたってはその特殊事情を考慮すべきであり、前記通達の基準をそのまま適用するのは不合理であると主張するので、この点について付言するに、原告が被告に入行後沼津北支店に転勤になるまでの約八年間銀行実務の経験がなかったことは当事者間に争いがないが、《証拠省略》によれば、(1)原告が同支店において担当していた業務は前記(二)の(1)記載のとおりであって習熟するのに長期間を要するほど因難な作業ではなかったこと、(2)被告は、原告を右業務に従事させるにあたっては、預金担当代理の上山行員に利息計算の方法、会計機の操作方法等を教示させるとともに、その後も、原告と同じ係で仕事をしていた井口行員に実際の伝票処理の仕方を指示させるなどして原告が右業務に従事しながら徐々に銀行実務に習熟するように指導したことが認められ、こうした点から判断すると、原告に銀行実務の経験のなかったことを業務量の判断にあたって特に考慮するほどの必要性はないと考えるのが相当であるから、原告の右主張は理由がないというべきである。

また、《証拠省略》によれば、原告は沼津北支店に転勤した当時妊娠四ヶ月であったことが認められるが、原告の従事していた作業態様、作業従事日数、残業時間等からみると、原告に前記通達を適用することは必ずしも不合理はといえず、原告が妊娠中であったことを考慮しても、原告の業務量が過重であったとは認めがたい。

(4) 原告は、渡部五百友医師が本件疾病について被告の業務に起因して発症したものと診断していること、同様に、沼津労働基準監督署長が業務起因性を肯定して労災認定を行ったことを根拠に業務起因性があることは明らかであると主張する。

しかしながら、既に述べたとおり、原告が本件疾病に罹患するまでの作業従事期間、業務量等から判断すれば、右疾病が被告の業務に起因して発症したと認めるのは困難であり、渡部医師の診断あるいは沼津労働基準監督署長の労災認定により直ちに業務起因性を肯認し得ると断定することはできない。

のみならず、《証拠省略》によると、渡部医師が昭和四六年五月一九日から昭和四七年七月二九日までの七回にわたり原告を診察した各診断書には、いずれもその病名を「頸腕症候群」とし、「向後一月間の休業加療を要する」との記載がなされていることが認められるが、前記のとおり、原告は、昭和四六年一月一八日以降は被告の業務を離れて治療を受けていたのであるから、原告の本件疾病が被告の業務に起因するものであるならば、右疾病は少くとも原告が業務を離れてから数ヶ月を待たずに治ゆしたはずであり、右渡部医師の診断どおり業務を離れた後もずっと右症状が治ゆせずに続いていたとすれば、その業務起因性は極めて疑わしいというべきである。

(5) (1)原告が昭和四五年六月一五日から同年七月一五日にかけて急性腎盂炎により休業していること、(2)同年一〇月に第一子(男子)を出産したこと、その前後である同年八月一三日から同年一一月三〇日まで産前産後の休業をしたこと、(3)その後昭和四七年三月には第二子(女子)、昭和四八年一〇月には第三子(女子)をそれぞれ出産したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、(1)原告が昭和四五年一一月には骨盤神経痛に罹患していること、(2)翌昭和四六年一月一三日から同年二月九日にかけての杉山病院受診時及び同年二月一六日から同年四月一九日にかけての伊波整形外科医院受診時の原告の症状はいずれも椎間板ヘルニヤの症状であり、その治療も腰部マッサージ、骨盤牽引などの椎間板ヘルニヤに対する治療だけが行われたことが認められ、これらの事実を総合すると、原告が同年一月一八日から長期にわたる休業をせざるを得なくなったのは、頸腕症候群によるものではなく、むしろ椎間板ヘルニヤ(あるいはこれと同系統の疾病)に罹患したことが原因ではないかと考えられる。

(6) 原告は、また、被告が昭和四八年六月三〇日原告から「昭和四八年六月三〇日午後二時三〇分人事部副部長より銀行が私の病気に対して沼津労働基準監督署長の認定した通り取り扱うとの通知を確かに受けました。」との文書を提出させたのは、被告が本件疾病の業務起因性を承認したものであると主張するが、《証拠省略》によれば、被告は、原告が労災保険の申請を行った際にも業務上の疾病であることを否定して使用者としての証明を拒否するとともに、沼津労働基準監督署長に対しても業務上の疾病ではないとの意見上申を行うなど一貫して業務起因性を否定していること、その後、従業員組合との団体交渉の席上、原告が本来得べかりし賃金と労災保験に基づく休業補償給付との差額に相当する金員を原告に支払う旨回答するとともに、原告からその主張のような文書を提出さるに至ったが、右の措置は被告が業務起因性を認めたためではなく、従業員組合との交渉の過程の中で経営政策上の見地から已むを得ず行ったものであることが認められるから、被告が原告から右のような文書を提出させたからといって、被告が業務起因性を承認していたものということはできない。

三  以上によれば、本件疾病が被告の業務に起因して発症したものであることを認めることはできず、本件疾病と被告の業務との間に相当因果関係(業務起因性)があることを前提として被告に債務不履行あるいは不法行為責任に基づく損害賠償を求める原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないというべきである。

よって、原告の本訴請求はこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 亀田廣美 裁判長裁判官蘒原孟、裁判官中村謙二郎は転補のため署名押印することができない。裁判官 亀田廣美)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例